シッティング・ブルとは

クレージー・ホースやレイン・インザ・フェイスと並んで彼も西部史上最も有名な白人VSインディアン戦争のリトル・ビッグホーンの戦いの勝者として有名である。また、インディアンの生活習慣を白人流に変えさせようとする「同化主義」に対して強硬に抵抗した人物でもある。彼はその為、インディアン部族からとても人気があった。アメリカの白人達は合衆国の一部隊を全滅させたインディアンのリーダーを見たがったので1855年彼は、バッファロー・ビルのワイルド・ウェストショーの一座として各地の興行に参加し多くの注目を集めた。 それでも彼は自分の態度を決して変えようとは、しなかった。彼は後に有名な言葉を残す。「白人は皆大嫌いだ。お前達白人は泥棒で嘘つきだ。お前達は我々の土地を奪い我々を浮浪者にした。」

シッティング・ブルとクレイジー・ホースが率いるラコタは、1868年のララミー砦条約の後、金が発見され、繰り返された不正の後に、ブラックヒルズ戦争を起こした。一連の有名な戦闘のひとつ、リトルビッグホーンの戦いでは、スーとシャイアンの連合軍が、ジョージ・アームストロング・カスター率いる合衆国第7騎兵隊を破った。

リトルビッグホーンの戦いにおいてスー(語)族を纏め上げカスター将軍部隊を全滅させた最も偉大な酋長の一人、シッティング・ブル。彼は同時に予言者としての顔をも持っていた。ジェロニモに続いて西部劇映画の登場人物とされるシッティング・ブル。彼は、戦士というよりかは、天才軍師であり、予言者でもあった。シッティング・ブルを一躍有名にした事件といえば、これも西部劇の定番テーマである「リトル・ビッグホーンの戦い」であろう。ジョージ・カスター率いる第七騎兵隊全滅の対インディアン戦闘である。その時、彼の政治的手腕で結集した部族はスー(語)族だけで7部族オグララ族、ハンクパパ族、ミニコンジュ族、ヤンクトン族、サンティ族、ブルーレ族、サン・ザーク族。そして、北部シャイアン族とその同盟部族、それに北部のアラパホ族である。

1890年12月29日、ADAMAY水清の腹違いの兄弟、ビッグ・フットと200名あまりのスー族が、合衆国第7騎兵連隊に殺害された。そのわずか13日前、シッティング・ブルと彼の息子クロウ・フットが、彼を逮捕するためにアメリカ政府が派遣したインディアン警察の集団との銃撃戦で殺されたばかりであった。このウンデット・ニーの虐殺で、インディアン戦争は終結した。

彼の本名は、タタンカ・イヨタケという。白人達が部族語を発音しづらい為、英語表記にしたのである。幼少の頃の名は、「のろま」と呼ばれていた。ところが、ある日、彼の父親が猟に出て仕留めた野牛を料理しているとどこからともなく、一頭の巨大な雄の野牛の影が現れた。不思議な事に、その野牛はなにやらぶつぶつと独り言を呟いている。父親には、その牛が「座れる雄牛、跳ねる雄牛、雌牛と並ぶ雄牛、孤独な雄牛」という言葉を繰り返し唱えている事が感じられた。父親は、思った。「これは、きっと調自然的な存在が自分に名前を与える為に雄牛に姿を変えて現れたに違いない。4つの名前の中からどれか一つを選べ」という事だなと。そう考えた父親はそれまでの名前を捨てて「座れる雄牛」タタンカ・イヨタケを名乗る事にした。そして、「のろま」と呼ばれる後の大酋長の少年は、わづか、14歳の時の初陣で敵のクロー族戦士に「クーを数える」という大手柄をたてた。父親はこれを誇らしく思い、息子に「座れる雄牛」の名前を譲った。そして父親自身は、例の御告げの2番目の名前である「跳ねる雄牛」 タタンカ・プシチャを名乗る事にしたのである。

タタンカ・イヨタケ(シッティング・ブル)は後に部族を率いる大物へと成長した。特に1876年6月、彼のもとに集結したスー(語)族、シャイアン族の戦士達が、カスター将軍(実は中佐に降格していた)率いる第七騎兵連隊中の一個大体を殲滅させた、西部史上最も有名な史実「リトル・ビッグホーンの戦い」は、後世に伝わる。リトルビッグホーンの戦いで戦士を率いて戦ったのが、タ・シュンカ・ウィトコ(クレージーホース)である。彼の子供頃の仇名は、「巻き毛」。戦で手柄を立てて父親の名前である、タ・シュンカ・ウィトコ(クレージー・ホース)を襲名した。文字通りの「暴れ馬、狂った馬」を意味するこの名前は彼の家系に何代か前から受け継がれて来たようでその詳しい謂れはわかっていない。