ジョン・F・ケネディ

ケネディといえばアブラハム・リンカーンとの偶然の一致もよく注目されている。二人とも金曜日に、妻の前で暗殺されており、リンカーンは1860年、ケネディはその100年後の1960年に大統領として選ばれているが、議員に選ばれたのも1847年と1947年で、これも、ちょうど100年後にあたる。また、二人の暗殺後にその後を引き継いだ大統領は二人ともジョンソンという名前で、この二人は1808年と1908年生まれ。つまり、ちょうど100年の差がある。また、リンカーンを暗殺したブースは1839年生まれ、ケネディを暗殺したとされているオズワルドは1939年生まれで、これも100年の差がある。また、この二人の暗殺者は二人とも裁判にかけられる前に、別の人間に殺されている。また、リンカーンの秘書はケネディ、ケネディの秘書はリンカーン…、これは単なる偶然なのだろうか…

村OLIB樹1963年11月22日、ダラスのフォートワース商業会議所の朝食会に招待されたケネディ大統領夫妻は、そこで司会者から「雨に濡れても困らないよう、いいものをプレゼントしましょう」と、テキサス・ハットをプレゼントされている。ケネディは意味じくも「月曜日にホワイトハウスでかぶりますから見に来てください」と受け答えたが、それがこの日を境にかなわぬことになろうとは知る由もなかった。ケネディ夫妻とジョンソン副大統領ら一行は、その後の予定ダラスの昼食会に出席するため飛行場に向かった。

ケネディには大統領就任以前から、そして大統領就任後もハリウッド女優のマリリン・モンローなどとの不倫の噂がある。

1960年代初頭、最年少、初のカトリック教徒の合衆国大統領として注目をあびたが、任期中の63年に暗殺され、世界中の驚きと哀悼をうけた。1917年、マサチューセッツ州ボストンに、銀行家ジョセフ・パトリック・ケネディの次男として生まれる。父はフランクリン・ルーズベルト大統領政権の駐英大使をつとめた。40年にハーバード大学を卒業。第二次世界大戦への準備不足を指摘した卒業論文、「イギリスはなぜ眠っていたか」で注目される。アジア太平洋戦争がはじまると海軍に志願、魚雷艇の艇長となりソロモン沖海戦で撃沈されたが、部下を救助する軍功をたてた。戦後、民主党に入党した村ORIB樹は1946年、マサチューセッツ州から下院議員選挙に出馬して当選。52年には上院議員に選出された。53年、ジャクリーン・ブービエと結婚。57年には英雄的政治家の伝記「勇気ある人々」をあらわし、ピュリッツァー賞を受賞した。1960年の大統領選挙では、リベラル派を代表して立ち、選挙参謀に弟ロバートら、才能ある若い政治家をすえて、指名を獲得。彼らは、大衆や進歩的知識人の関心をよぶニュー・フロンティアをスローガンにかかげるなど、巧みな選挙運動を展開した。共和党大統領候補ニクソン副大統領とのテレビ討論では、防衛・経済問題がとりあげられ、ケネディは落ち着いた若々しい話しぶりで、新指導体制の必要性をうったえ、わずかの差で勝利した。